私のファーストドッグ、実家のぷりん(14歳8か月)が7月2日(土)に虹の橋を渡りました。
(2008年7月5日 自宅にて 11歳)
腎不全と宣告されたのが、確か6月3日。その日から亡くなる前日まで1日も欠かすことなく、病院通いをしました。腎不全は治ることのない病気です。目に見える症状が現れている時にはすでに腎臓の75%が機能していません。残された25%の機能をいかに維持する、または進行を遅らせるかという治療を続けます。
(2005年12月28日 自宅にて 9歳)
私は6月3日から毎週末実家へ帰りました。結婚式の前日も、そして翌日も実家へ帰りました。ぷりんは日中は病院で点滴をうち、夕方頃帰宅して、翌朝また病院へ行っていました。夕方から次の日の朝までは家で過ごせるのだから、できる限りのことをしようと決めました。というのも、動物は人間と違って、生きることを諦めない生き物と聞いたことがあり、ぷりんの生きる力を信じよう、信じたいと思ったのです。
(2007年1月14日 自宅にて 食卓の指定席でご飯を待つぷりん 10歳)
最初はごはんを好き嫌いしていたのですが、ほどなくして食欲がなくなり、自分では食べなくなりました。点滴だけじゃ栄養にならないので、強制給餌を始めました。無理やり口にシリンジを入れ、手作りの流動食を家にいる時は数時間おきに与えていました。それでも、流動食ではカロリーが足りず、2.6kgあった体重は2.3kgを切り、ガリガリに痩せてしまいました。
また、トイレも最初の頃は自分でヨタヨタと頑張って行っていたのですが、時とともに、それも難しくなり、私たちが手を添えてトイレに連れていくようになりました。最後の1週間は、起き上がることもできなくなり、ついには寝たきりになってしまいました。
(2009年9月26日 八ヶ岳旅行にて 13歳)
でも、私たちは諦めることなく、お世話を続けました。夜も数時間おきにトイレに連れて行き、お水を飲ませ、栄養シロップを与え、みんなで頑張りました。もちろん一番頑張ったのはぷりんです。小さくな体で頑張るぷりんを見ているのはとても辛かったです。
仕事がある私は日曜日の夜、または月曜日の朝、「また金曜日に来るから、頑張ってね」と
ぷりんを励まし、また会う約束をしてお別れをしていました。私の気持ちが通じたのでしょうか。ぷりんは最後まで待っていてくれました。
(2007年1月14日 土岐のプレミアムアウトレットにて 10歳)
7月1日(金)夕方、いつものようにぷりんを病院まで迎えに行き、お家に帰りました。そして、帰宅後すぐに手作りメロンジュースと栄養シロップを10ccずつを飲み、その2時間後から全ての流動食を拒み、お水さえ飲まなくなってしまいました。もう疲れてしまったのかもしれないと感じました。いつもと様子が違うぷりん。今思えばあれが最後の夜だったのですが、みんなで川の字になって夜を過ごしました。
2日(土)朝、妹が仕事に出かける直前、「夕方まで頑張ってね」と挨拶をしました。そして、妹が家を出た直後、発作を起こし、そのまま天国へ逝ってしまいました。亡くなったその日の夜も、またみんなで川の字になって、寝ました。3日(日)、お葬式をあげて、最後のお別れをしました。
(2008年4月26日 近所にて 11歳)
一週間以上経ちましたが、やはり寂しさと悲しみを感じます。でも、私たちはぷりんを迎えることができて本当に幸せでした。ぷりんはみんなに愛されていました。しかし幸せだった分、後悔もいっぱいです。
もっとお散歩に連れてってあげれば良かった。(庭には自由に行き来できるようにしていましたが…)もっとお出かけしてあげれば良かった。もっと遊んであげれば良かったとか…。なんで、もっと早く病気に気づいてあげられなかったんだろうって。
そして、ぷりんは私たちの家に来て、幸せだったのだろうか。最後の1ヶ月、毎日病院なんかに行きたくなかったんじゃないか。点滴のための、留置針が痛かったんじゃないだろうかとか。
ふと気づくと、こんなことを考えている自分がいます。
(2008年4月26日 近所にて妹とお散歩 11歳)
最後になりましたが、私は虹の橋を信じたいと思います。ぷりんは今、健康な体に戻り、美味しいものをいっぱい食べて、元気よく走り回りて、橋の向こう側で私たちのことを待っててくれていることと思います。
ぷりん、今までありがとう、また逢おうね。
コメントをどうぞ!
ぷりんちゃんは、絶対絶対幸せだったと思います。だって、どの写真もとってもいいお顔をしているから。きっと虹の橋をシッポふりふり、元気に渡って行ったと思います。
幸子姫さん、おひさしぶりです。
プリンちゃんのこと本当に残念ですが、私も虹の橋、信じてます。
私にも闘病の末、虹の橋を渡った大切な家族がいますので
お気持ちお察しします。
今は悲しいときですが
一日でも早く、幸子姫さんが元気になりますように。
ぷりんちゃん、きっと今頃は
虹の橋で元気に走り回っていると思います。(^^)
知り合いのアニマルコミュニケーターの人から
亡くなったワンちゃんの言葉を聞いたりしますが
みんなとても幸せにしているようです。
幸子姫さんも早く元気になってくださいね。
ぷりんちゃん、虹の橋を渡っちゃったんですね。
読んでて泣けちゃいました。
きっと今はたくさん食べて、
思い切り走って遊んでいると思いますよ。
最後が病院じゃなくておうちでだった事。
ぷりんちゃんが闘病を頑張った証拠なんじゃないでしょうか。
いつでも家族とお家が一番ですからね。
天国で元気よく走り回っていてくれるといいなと私も思っています。
写真は実はシニアの頃のはたくさん残っているのですが、
子犬時代のものがあまりなく、今思えばもっと写真を撮っておけば良かったなぁと思っています。
14年も前ですと、まだフィルムカメラの時代だったので、
今と違ってそんなに写真を撮ることもなかったですしね…。
コメントをありがとうございました。
お久しぶりです。
Lenaさんのご家族も、看取ったことがあるのですね。
私は初めての経験だったので、戸惑いがいっぱいです。
特に、私自身が失うことを恐れていました。
また、6月は携帯電話にかかってくる呼び出しが怖くて仕方ありませんでした。
結局、緊急でかかってきたのは、1回のみでしたが。
納骨式や四十九日はちゃんとしてあげる予定です。
無事、天国で暮らせるようにと。
コメントをありがとうございます。
アニマルコミュニケーターさんのこと、最近、ペットロスの本を読んで知りました。
まだアメリカにしかいないかと思っていたのですが、日本にもいるんですよね。
ぷりんが腎不全と宣告されてからは、ぷりんが言葉を話せたら、どんなにいいかと思いました。
何を食べたいんだろう?、トイレ行きたいのかな?、
お水欲しいの?って色々聞けたらって思いました。
この世ではお別れで悲しいけど、天国で幸せに暮らしてくれてるといいなと思います。
少し話は外れますが、ぺんぎんナイトさんのことを、
私は学生時代の友達だと思っていたのですが、
もしかして、ダックスと暮らしてらっしゃる方ですか?
お名前で検索してみたら、ダックスちゃんと暮らしているブログを見つけたので。
違っていたら、ごめんなさい。
ぷりんは病院じゃなくて、お家で最期を過ごせて良かったと思います。
病院のサークルの中だと、誰にも気づかれずに逝ってしまうこともありえましたから。
ぷりんは闘病中は一切吠えなくなってしまったので、
少しでも目を離したら、異変に気が付かなかったと思います。
私はちょうど隣で寝ぼけながら、ぷりんのことを見ていたので、気づきました。ほんの一瞬の出来事でした。
今はぷりんの写真をあちこち探しながら、アルバムを作っています。
コメントをありがとうございました。
ぷりんちゃんの様子を幸子姫さんの言葉から聞いて感じたことは、ぷりんちゃんが家族に愛されていたこと、大好きなおうちでみんなに見守られながら虹の橋を渡ったことに満足ではということでした。
虹の橋も、犬の言葉も信じています。最近はわんちゃんたちから手紙が届くそうですよ。
亡くなった後でも。コミュニケーションはとれるようですから、いまでもぷりんちゃんの声は聞こえるのではないのでしょうか。
自分が亡くなった時、会えるんだよね~と思うと、少し楽になって、楽しみとなるかもしれません。
私はそう思うようにと最近心がけています。
本当に、お家で最期を迎えられて良かったと私も思いました。
もし病院のゲージの中だったら、先生や看護師さんたちだったら、忙しくて気づかない可能性もありましたので。
手紙が届くのですね。そういうアニマルコミュニケーションもあるんですね。
最近、ペットロス関連の本を読んでいます。少しでも気持ちの整理ができればと思って。
メッセージをありがとうございました。